きっと響かない

専門学校を出たくせに高等教育機関を出たかのように振る舞う元高専生のブログ。理系でコミュ障でオタクという役満な人生とは是如何に。

えいがのはなし

映画という娯楽。

休日の過ごし方マニュアルがあるならば

映画を観るという行為に関しては

1人であろうが

他の人と一緒であろうが

トピックスが組まれやすく、

ランキング上位に入るのではいう過ごし方。

 

1人であればソシャゲばかりしている気もするが。。

 

個人的に凄く映画が好きだ!

という訳ではない。

が、何しようかなと思えば

映画にいこうかなー

くらい考える範囲では好きと言える。

 

皆さんは最近どんな映画を観ただろうか、

アメコミか、

レディコミ原作の実写化か、

口コミで話題になった超低予算映画

なんてこともあるかもしれない。

 

 

そんな私が最近観た映画。

細田守監督の「未来のミライ」を観た。

理由なんて無い、

 

ただ友人が細田監督のファンであり、

時かけ間宮千昭のファンなのである。

 

そんな友人と会う事になり、

近況なんて語り合うほど久しぶりでも

なければ人生のイベントなんてのも

無かったので映画を一緒に観てきた。

 

 

以下、ネタバレしかしない勢いで書く。

が、注意して欲しい点がある。

私はこの作品を端的に言えば

「面白くはなかった、55点くらい」

という評価にしているので、

まだ観てない人や面白かったという人は

自分の感性を信じてから観に行くなり、

ページを戻るなりして欲しい。

 

 

あらすじ

主人公は弱冠4歳の太田訓(おおた くん)、通称"くんちゃん"に妹である"未来ちゃん(みらいちゃん)"から奪われた両親の愛を取り戻すお話だったような気がしないでもない。

 

途中、くんちゃんの被害者面を責める一家の愛犬や、去年亡くなってしまった曽祖父、自分と同じ歳付きの頃の母親、はるか未来(とはいってもせいぜい13,4年先)からやってきた妹のミライちゃんと触れ合う事で本当の愛情に気付き、兄になっていくお話であったと補足する。

 

感想

4歳は多感なのか。と疑問に思った。

けれども私が4歳のとき(投稿時点では19年前)を振り返ってもあまり思い出せることはない。

 

1999年と言えば、

ウルトラマンは平成3部作が終わったばかり

であり、

仮面ライダー平成ライダー始動前だった。

ゴーゴーファイブについては緑のヘリが

合体ロボの頭になる事しか記憶にはない。

 

そう、あまりにも記憶がない。

保育園に預けられ、

19時過ぎに母が迎えに来るまで

何をしてたかとか、どんな物が得意で、

あの娘が好きだったとか

まるで何も思い出せない。

 

だから

未来のミライを観た後に感じたことは

 

実感として4歳という年齢は

とても捉えづらいという事だ。

 

4歳の自分には8歳の兄と3歳の妹が居たが

別に両親の愛に飢えては居なかったし、

明日持たされるであろう保育園で食べる

オヤツはなんだろうか?

くらいしか興味が無かったように思える。

 

遊戯王ウエハースが良いとか、

トランスフォーマーウエハースが良いとか、

ビックリマンが良いとか

とにかくウエハースばかり

食べたがったような気がしている。

そんな気がしてきた。

 

 

話を戻そう。

くんちゃんはおかあさんはおろか、

在宅ワーカーのおとうさんにまで

見放され(正確には乳児のミライちゃんで手一杯なだけなのだが)ただただ拗ねる。

ひたすらごねる。

 

両親はごねる4歳児に対して

「兄であれ」

と家族の枠組みに組み込まれる事を

強要するだけでなく、

起きている時にはあたかも

そこに存在しないかのように扱う。

割とネグレクト気味だ。

 

かといって祖父母も味方ではなく、

くんちゃんの時代は終わりを告げた

かと思うくらいには

ミライちゃんを溺愛するのである。

 

それまでは

欲しいものはなんでも与えられてきた、

お気に入りの服、大好きな電車のおもちゃ、

絵本、乗れもしない自転車まで

与えられてきたくんちゃんにとって、

失って初めて親の愛が大切だと知る。

 

独立した建築家という在宅ワーカーであり、

主夫となったおとうさん

が設計した家の中庭に、

心が疲弊したくんちゃんが立ち止まると、

くんちゃんの意識は異界へ飛ぶ。

 

あるときは一家の愛犬が擬人化され、

あるときは未来の妹ががやってくる。

またあるときは4歳の頃の母親が

自分と同じ片付け嫌いと触れ合った事で知り、あるときは亡くなった曽祖父から

自転車の乗り方を習うのだ。

 

 

くんちゃんは電車が好きである。

電車は始点と終点があり、

その歴史は長い。

異なる場所からきた全くの他人同士が、

異なる目的の為に

図らずも時間を共有してしまう乗り物。

ある場所と場所だけでなく、

過去と未来をも繋いでいる乗り物が

電車である。

 

そう、それは…

時間改変の影響を受けない特質の持ち主

特異点」であるくんちゃんは、

時の列車デンライナーに乗って

未来から来た女性ハナと一緒に

イマジンの侵略から世界を守る訳ではない。

 

 

異界へ飛ぶという表現は、きっと正しくない。

心象風景に出会うという方が正しい気がする。

かの有名な無限の剣製である。

身体は剣で出来ている、血潮は鉄で心は硝子。

硝子の少年時代の破片が胸へと突き刺さる訳ではないが、そんな雰囲気である。

 

 

 

脱線してるので(ギャグ)また話を戻そう。

子供は周囲の話を聞いては居たとしても

理解など到底していない

という意見があると思う。

 

それは私自身正しいと思う。

語彙力とかボキャブラリーにあたるものが

無いのだ。

話している文脈が理解出来ない以上、

声色とか表情からどんな話をしているか

なんてのは分からない。

例えば、他人の不幸を

嬉々として語っていたとして、

それは誰かにとって悲しい話だと

聞いていて思えるだろうか。

いや思えないのではないか。

 

4歳が家族や周囲の会話から、

家族ですらあったことの無い

青年時代の曽祖父や、

未来に生きる妹、

同じく未来に生きる自分に

出会う想像なんて出来ただろうか。

 

ファンタジーにリアリティなんて

求めてはいけない、というのは分かっている。

4歳ってこういう動きするよな

という描写に反比例するかのように言動や、

ボキャブラリーが多彩なのだ。

 

多感で多動で造詣が深い割に

ひたすら駄々をこね、

ごねては拗ねるを繰り返した挙句、

家族に向かって「好きくない!」

と叫び続けるその姿には

とてもでは無いが共感の感情は覚えない。

 

その理解し得ないギャップこそ

細田守監督の看板を背負った作品に対する

期待を裏切られた、面白くなかったと

感じてしまうポイントだったと思う。

 

長々とまとまりなく書いたが、

そろそろ友人とボードゲームをやりに行く時間になったので今日のところはこれで。