きっと響かない

専門学校を出たくせに高等教育機関を出たかのように振る舞う元高専生のブログ。理系でコミュ障でオタクという役満な人生とは是如何に。

おしまい と さよなら

最近本を読む時間が減った。

 

「活字離れ」といった表現があるが、

平成生まれのゆとりっ子としては

この表現は嫌いだ。

 

画面に映る字であっても

活字では無いのだろうかって小難しく考える。

それはそれだけど。

 

ただ25歳になって、10年前の自分の比べて

「食う・読む・寝る・学校」というサイクルが

「食う・スマホ・寝る・仕事」となったのは

最早火を見るよりも明らかだった。

 

自他共に認める本の虫が、

そう言えば高専に通い出した辺りから

段々とその鳴りを潜めていった。

 

ローズキャッスルからバスと電車で1時間半、

千住の町は緩やかで穏やかで暖かかった。

とても世紀末都市足立区と

隣り合っているとは思えないくらいの

エモい下町だった。

 

下町と言えども、

僕にとっては憧れの東京であったし、

15の僕には刺激が強い日々だった。

 

今頃地元の友人は何してるだろうか、

なんてセンチになった事もあったと思う。

幸い友人に恵まれ、楽しい5年間だった。

失う事が怖しく、悲しく、愛しい日々だった。

 

何事にも終わりが来ると、

体感でも知識でも知っているけれど。

 

それでも来ることを

自覚しないようにしている自分がいる。

 

エモーショナルで、

ノスタルジックで、

センチメンタルな、

この感情を思うまま書こうと思う。

 

最近好きな人から本を貰った。

「おしまいのデート」 瀬尾まいこ

好きな人であって、恋人では無い。

 

ただ、13の頃から不定期に会っては

ご飯を食べて別れる

という不思議なイベントを続けている。

これは僕が引っ越してからも会っていた。

 

やましさが有るのは僕だけで、

向こうには微塵もない。可能性すらきっと。

 

突然送られてきた本に、

勘繰りを入れながら読んだ。

表題通りというか、書き出しが物語る。

「今日でこんなふうに会うのは最後だ。」

 

自分でもびっくりするくらい動揺もなく、

2時間ほどかけて読了した。

 

Tシャツにジーンズのような飾らない感じで、

14時まで寝てしまったけど

とてもスッキリと目覚めた、

そんな日曜日の昼下がりみたいな本だった。

 

読み終わって、時計を見たら15時

軽く息を吐き、すっごくお洒落して出かけた。

下ろし立てのシャツを着て、

お気に入りの靴を履いて、

珍しくコンタクトも入れた。

 

実感が湧かない、と言えば良いのか。

電車に乗るまでぼーっとしてた。

ホームにいた地下鉄に乗ってから

どこに行こうかと悩み出した。

 

ショッピングセンターの人魚マークで

コーヒーを買って、飲みながら歩く。

視界の隅に本屋が入ってふと思った。

 

「僕もさよならって言いたいな」

 

手紙を書く代わりに、本を贈ろうと思った。

 

 

「人生を変える本」ってあるだろうか

 

 

僕は僕なりに知っている。答えはある。

 

僕の中では

そのときは彼によろしく とか

池袋ウエストゲートパーク とか

アジアンタムブルー とか

真夜中の五分前 とか

持っていない自分が、

持っている側の視点に

入り込める感覚を得ることを大事にしたい。

持っているからこそ、失う事が怖いし辛い。

 

ただ7つの時から互いを認識した間柄で、

隠し事も特になく、

切る手札をきっと知ってる相手に贈る、

さよならの本ってなんだ?

 

 

答えは出なかった。

女々しく「終わりたくない」と思うばかり。

 

でも本は買った。

答えを出せない自分が、

店を出ようとして、

入口の新刊コーナーを通りかかり、

気になってしまった。

 

読んだ事のない本を2冊、同じ本を買う。

25年生きてきて初めてだった。

まだ初めてに出会う自分に少し驚いた。

 

そして、さよならを言う本でないなぁと

買った本を読みながら帰りの電車で思った。

頭の中には

さよならcolorsuper butter dog

が流れていて、

この感情がおしまいってことかなんて。

 

 

「さよならからはじまることが

    たくさんあるんだよ」

 

 

そう自分に言い聞かせて、家に帰った。

二つ丸をつけて

ちょっぴり大人になったような

こぼれ落ちた涙を流れ星に変えて

星の降る夜の中、そっと長い瞬きをした。