きっと響かない

専門学校を出たくせに高等教育機関を出たかのように振る舞う元高専生のブログ。理系でコミュ障でオタクという役満な人生とは是如何に。

エモーショナルという言葉と意味にあたる感情

エモいという言葉がある。

エモーショナル(emotional) -感情的な- という形容詞の英単語から来ている。

 

個人的にはノスタルジック(nostalgic)と同じ意味合いで使っている。

フジファブリックの「若者のすべて」とか

忌野清志郎の「デイドリーム・ビリーバー」、

ZARDの「Good-bye My Loneliness」とかを聴いたときに揺さぶられる感情を言い表している。胸の奥が締め付けられて、どこか後悔したような気持ちで、若かったなとか年取ったなとか言ってしまう感情だ。

 

さて、久しぶりのブログ記事なので伝えたい内容に戻そう。

 

 

 

 

 

同郷の才能に溢れた未来ある若人が亡くなった。

三浦春馬」という俳優、歌手、表現者だ。

ここに故人の冥福をお祈りする。

また、将来にわたって好きな出演作を心に刻む事を誓う。

 

7月18日は仕事をしていて、会社に出ていた。家に帰り、夕飯を作っているときに流れたそのニュースを聞いた時は

「今日はエイプリルフールではない…よな」

という名状し難い感情があった。

とても信じられなかったし、喪失感というより、何が起こったか分かっているのに分からないような気にしたい、向き合いたくないという感情があった。

 

正直に書くと、僕は彼の大ファンだ!とは言えないと思う。

「サムライハイスクール」や「オトナ高校」、「恋空」、「君に届け」、「真夜中の五分前」(原作小説は穴が開くほど読んだ)くらいしか見てない。

同じ故郷を持つ憧れの存在くらいに思っていた。

 

1番好きな作品は、僕が仙台に住んだ事や多部未華子の大ファンである事が重なってるために観た「アイネクライネ・ナハトムジーク」だ。

劇場には3回行き、Blu-rayまで購入した。

一言で言うと、エモい映画だった。

セカチュー」や「いま、会いに行きます」といった作品に触れた時の"エモい"とは違う。

「アバウト・タイム」とか「そのときは彼によろしく」を見たときのような"エモさ"なんだと思う。

 

真面目で素朴な青年、佐藤を演じた彼(自然体な演技は彼自身の人柄だったと昨今のネットニュースやラジオ放送で知った)が、4年後に多部ちゃんと恋人役で再々再共演して欲しかった彼を見る事はもう叶わない。

 

過ぎたことは変えられない。

辛い事は乗り越えるしかない。

 

ただこの感情を吐き出したかった。

吐き出さなければいけないと、自分自身に空いた穴を認識せねばと思った。

 

最後に、大好きな映画のセリフから引用して終わりにしよう。

 

 

「あの時、あの場所で出会ったのが、彼が出ているあの映画で良かった」